大学時代の仲間と豪徳寺・松陰神社へ

前列のご婦人と右端の男性はボランティア・ガイド
前列のご婦人と右端の男性はボランティア・ガイド

 2019/6/13(木)、午後2時、東急世田谷線「宮の坂」駅集合。昔の懐かしき玉電。わが家からここまで、距離は近いのに、武蔵境から吉祥寺・明大前・下高井戸と乗り換えて、初めての「宮の坂」まで1時間半かかった。約束より30分早く着いた!? 昨日までの梅雨もようやく上がって、快晴、ラッキー日和。

 仲間総勢8人で、世田谷八幡→豪徳寺→世田谷城址→郷土資料館→松陰神社というコース、3㎞・3時間をボランティアガイドの案内 で歩いた。約8000歩だと誰かか言ってた。ガイドが4人(男女2人づつ)というきめ細かいサービス。

 世田谷、近くにいながら、私には初めてのところ。クラスメートの川口君の企画。彼のこのような企画がなければ、私は足を踏み入れることはなかったろうと思う。いい見学ができた。井伊直弼の墓所のある、いま招き猫でさらに有名になった豪徳寺。29歳で処刑された吉田松陰の墓所が世田谷の場所にあったなんてびっくりの松陰神社。

 見学後は三軒茶屋・「居酒屋中華 上海風情」で会食。(たくさん飲んではいけない)ビールが旨かった。

 復調してきたとはいえ、体力が続くか気になりながらの参加であったが、楽しい仲間との散策は妙薬になったのか、8000歩、3時間の歩きは無事に終わった。

 

20190605 同期会=睦互会=65年入社の仲間

 6月5日はムツゴ(睦互)会。有楽町・帝劇ビル地下・神戸大学六甲クラブで。
 東京在住の会員は31名であるが、案内不要の連絡をもらっている11名を除いて、20名中12名が参加。 例年とあまり変わらない。

 所用と相重なり差し繰りできなかった矢内君他、遠方より毎回出かけて来てもらう訳にもいかない森君・石黒君・井硲君たちは欠席。そして、今回も体調悪く止む無く欠席となった青木君、相沢君には心よりお見舞い申し上げる。

 出席者はみな元気。大病を乗り越えた(20年前に胃がんの)長谷川君や(10年前に食道がんの)宮渕君など、さすがに体重こそ少ないが、元気そのもの。宮渕君は1964東京オリンピックについて来年のオリンピックでも公式通訳を務めるそうで鼻高々。成島君は地区センターに勤務して長くなるそう。みんな趣味の世界、ボランティア活動に情熱を燃やしている。

 唯一現役の島田君(シマブン会長)は「病気などしたことないから、病気の話はさっぱり」と胸を張る。前尾君は相変わらずの青春謳歌、金儲けの話に余念がない。大儲けしたという話は聞いたことがないが、顔が輝いている。長浜君はまさに日焼け、健康色そのもの。彼はシルバーセンターで植木職を勤めている。年収は100万いくかなと(すごいねーの声が周りから…)。 方や、俳句にも凝っていて、即興で唸っていたが、句は忘れた。。。 灘浜製鉄所の夜勤明けの様子を俳句ってた。
 小生、体調は回復してきたが、写真を見ると何だかやつれた感じだ。

  句を思い出した!!  『工場の風呂の菖蒲や夜勤明け』だった!

 それと、オモシロイなあ、必ず六甲道の『りんどう』の話題が出る。名物ママだったからなー。ニヤケ着くのは前尾。とにかく65年入社の我々を阪急六甲道駅そばの『りんどう』は艶めかしく応援してくれたお好み焼きのお店だった

 

集合写真、上、左から 片岡・前尾・長浜・塚越・浜野・青山

     下、左から 長谷川・宮渕・島田・成島・野瀬

 

また来年、再見。 2020年6月5日(金)1200~  帝劇B2、六甲クラブ

 

 

 

20190420 資金部OB/OG会

2019.4.20 資金部OB・OG会 松本勝行さんを囲む会。

久しぶりにというか、何十年ぶりに女子も参加して回顧談に花が咲きました。参加していない人が、やはり、気になります。

土野敏雄君は、わざわざ、勤務先の中国・成都市からこの会のために帰国、駆け付けてくれました。女子たち、容貌、語り口、なにもかも全く変わっていないのに驚かされました。  場所は丸の内トラスト・タワー2階、鳥どり。

 

参加者 : 松本勝行・青山恭彦・木村力・山川皓・土野敏雄・荒井(吉井)万里子・木村(木内)真澄・内村(岩月)久恵・阿部(渡辺)康子 のみなさん。(敬称略、写真の並びとは別)

 

 

20190417 関連企業部OB会

2019.4.17、恒例の関連企業部PB会。 最長老の佐藤真澄さん他、みなさん相変わらずお元気でした。昼間から飲み放題コース。でも、みんな、それほどアルコールは進んではいません。 来年も同じメンバーが集まりますように。場所は丸の内オアゾ・ビル5階 オーキッド(中華料理)。

 

 

 

20181204 武蔵国分寺史跡めぐりー東京雑学大学

 12月4日、快晴の20度近い気温の中、元国分寺市長・現国分寺市観光協会会長である星野信夫さんに案内してもらって「天平史跡のまち」国分寺の史跡を見学してきた。総勢20名。

 

 見学ルートは西国分寺駅―史跡通り―武蔵台遺跡―伝鎌倉街道―武蔵国分尼寺跡―四中文化財資料展示室*住田正一の全国国分寺瓦コレクション―七十之塔跡―伽藍中枢遺跡(金堂、講堂、鐘楼)―現国分寺境内(仁王門、薬師堂、楼門、本堂、万葉植物園)―史跡の駅「おたカフェ」―長屋門*武蔵国分寺跡資料館―お鷹の道―真姿の池―都立武蔵国分寺公園―東山道武蔵路跡―西国分寺駅。9時から12:30まで、一万歩を超える。

あと、西国分寺駅前の和食レストラン「ぼんまり」で食事をして解散。

 

 国分寺市から府中市を回遊。実に広い公園の多いまち。史跡の中に公園があるのか、その逆か。紅葉の樹々は美しい。

 

20180913 ミニコミ紙の編集メンバー

西東京市の市民団体「きらっとシニア倶楽部」のメンバー。

左から、佐藤・吉田・杉山・五十嵐・青山・有馬・鹿島・伊東・菅原


ミニコミ紙、「きらっと☆シニア」を、現状はやや減って、年4回発行している。創設以来、11年経つ。私は途中入会組。しかし、もう6年経つ。ただ私以降の入会者は一人だけでその人はまだ日が浅いから、私はいつも新米、それ故に、走り回わされる。しかし、それがいいのだ。まちとまちの人を知るために。私の入会目的は、その一点、良いミニコミを作るというよりも、優先目標は、まちを知ることだから。
きらっとシニア倶楽部の詳細は こちら

 

 

20180825 勤務していた会社のOB会

台風20号が去っても「台風一過」とはならなかった猛暑の8月25日、久しぶりの財務のOB会、中には20年以上も経って再会の仲間。遠く中国・成都市から、このOB会に合わせて帰郷し、参加した仲間も。

財務時代、それこそ、円高移行時代、財テク時代、為替差損や財テク損失など、財務部門の金利というコスト発生を別にすれば、普段は(銀行との応対を別にすれば)静かな財務部門が会社決算を左右する目玉となった大変動時代の財務の上司、同僚たちが集まった。

みんな、本社財務を卒業して、事業部門の管理畑や海外勤務、その後、関係会社の役員に就いたりして、今は一家言を持つシニア。
会って話しているうちにタイム・スリップして、生き生きと「あの時代」が蘇ってくるのはいつものOB会の特徴です。 日本橋・共立日本橋ビル地下の「鳥どり」でお昼から午後3時前まで、よく喋って飲みました。
右の写真は、建て替えられた現鉄鋼ビル(丸の内1丁目1番地)。私たちは、当時、もっと重厚に見える鉄鋼ビルの6階で、金融経済戦争の最前線に立っていましたヨ。
みんな元気、なにより。 

 

 

 

20180729 NIMICの活動で外国人を盆踊りに

一番後列の右から3人目の帽子男が私です。

NPO法人 西東京市多文化共生センター (NIMIC)の活動に昨年より関わっています。西東京市に住む外国人のお世話をする活動団体。
今回は『浴衣を着て盆踊り』というイベントを開催、日本の盆踊りは初めてという若い女子17人と男子3人(アジア系ばかりでしたが)に日本の文化を紹介しました。
着付けは専門の人にボランティアでお願いし、着物や帯他はこれもボランティアの人の好意とレンタルで調達。私の仕事は、イベントの開催スタッフですが、当日は小グループに分けて、参加者が迷子にならないようにまとめるグループ・リーダー。
参加者はみんな大喜び、見よう見まねで踊っていました。もちろん夜店で「食べる」も元気。写真・前列左から3人目はタジキスタンから来た留学生ですが、ヒジャブを被って踊りっぱなし、櫓の上にも登って大はしゃぎ。中国や台湾から来た留学生たち、着物を着たら外国人とは全く気が付きません。

2018.6.5    6月5日は「睦互会」

 年1回 恒例の睦互会、「むつご」、65年入社の同期会、開催日は6月5日お昼から。場所は帝劇ビル地下にある神戸大学の六甲クラブ。もう10年近く開催。神大の場所を借りられるのは、仲間の濱野君が神大OBであるお蔭。
 参加者は今回は13人と寂しかった。遠来は井硲君、仙台から駆け付けてくれた。彼は東京に住むお孫さんに会いたいので、睦互会を上京のチャンスにしているという。

 今回は、やはりというか、病気の話が多かった。胃を摘出した人が4人だったか、大勢いる。体重が40㎏から45㎏まで増えたとか...、食道と胃をとって、小腸を喉まで引っ張って来て繋いでいるという人も。私は77㎏、突き出た腹を思わず凹ましたくなる思いだった。

 面白かったのは、前尾君のジャイロ・ヘリ(?)の話。販売権利を持っているので、製品が市場に出るようになると億万長者だそうだ。夢を持ち続けるのはすばらしい。空飛ぶタクシーの実現! この手の話は彼の得意分野。。

 

 奇しくも、今日は午前9時から東京本社にガサ入れ、速報が報道されていた。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180605-00010008-asahibcv-l28

島田君が解説していたが、私たち参加者は該当事業部での勤務経験がない者ばかりだし、関係ないこと。

 

 島田君は建設機械の仕事で北朝鮮に行ったことがある由で、そこで、なんと、写真を撮っていて捕まり、4時間も拘束されたという。武勇伝でヨカッタ、ヨカッタ。

 

 また来年も6月5日に元気に会うことを約束して散会。

 

 

2018.4.18 古巣のOB会

年1回の定例となった神鋼関連企業部OB会、12:00から14:30まで。今年は東京駅そばの丸の内のOAZOビル5階の「えん」という和食屋さんで開催。このビルは1階から4階までは本屋・丸善が入っているビルです。生憎、午前中は雨。
いつものメンバー12人が参加。
生臭い話は何もなく、みなさんの近時の状況を披露して和やかタイムでした。

最長老の佐藤さん、お元気で矍鑠。一番若い山崎くんは昨年現役をリタイアしたそう。小林くんはボランティアで長寿社会の課題の研究と実践に取り組んでいるそうで、講演で走り回っているとのこと。
遠路はるばる神戸から参加したのは藤川くんと百山くん。藤川くんは故郷・山口の銘酒・獺祭をお土産に持って来てくれました。これは美味かった~。

回顧談に花を咲かせて、あっという間の2時間と少し。来年の再会を約束して散会。

 

私は、散会後、雨が上がったので、きれいになった東京駅丸の内を駅から二重橋へ出て、お堀の周りを散歩してきました。久しぶりの皇居でした。駅前の広場は広く明るく変わりました。

 

 

 

2017.9.1  「カタールを懐かしむ暑気払い」に参加

9月1日(金) 12時、東京八重洲北口「八重洲大飯店」に、Qatar Steel Company (QASCO) のマネジメントに携わった、当時40±5才、今では75才前後のオールド神鋼ボーイ 12人が集合して、懐かしい思い出話に花を咲かせた。

 

QASCOは1974年に設立された神戸製鋼とカタール国との間の合弁の製鉄会社。中東アラビア半島で初めて建設された天然ガスベースの直接還元鉄法による製鉄会社。建設当初は20万トン/年の生産高であったが、今では250万トン/年の生産高に拡大しているそうだ。

 

私は第3代目のTresurer(財務担当役員)として現地に赴任したのは、39才の時、1978年1月。そこで家族を帯同して2年過ごした。プラントサイトは首都ドーハから50㎞離れたウムサイドというペルシャ湾に面した町。いまでこそ、テレビで観るカタールはパラダイスのような美しい街並みだが、私たちマネジメントチームが現地に入っていた時期は緑もなく荒涼とした土漠と砂漠の陸地。

 

企画・システム・人事・経理・購買・販売・製造など会社運営に必要なマネジメント機能を全て神戸製鋼が引き受け、それぞれの人材が合弁会社に派遣された。その他にプラントの建設チームが資材と共にやはり神戸製鋼から派遣された。

 

石油と天然ガスの産出国・カタール。そこでかって働いた、今は70代のOBが集まって暑気払い。こういう回顧談は楽しい。毎年、毎年は要らないが、時にはいい。

 

ちあきなおみや青江美奈のカスバの女「ここ~は地の果てアルジェリア~♪♬」という唄が流行ったが、そんな歌を現地で歌っていたことを思い出す。

 

 

2017.8.10  慶應クラス会

慶応大学クラス会(MD会)、かなり頻繁に開催されるようになった中央沿線族クラス会。これがやや発展・拡張されて武蔵野台地族(MD)クラス会。

集まる仲間はみんな若い。昭和36年入学・40年卒の仲間。

一昨日、猛暑の中、中央林間でゴルフをやってきたという関口君、彼の話では、84才の元気な人がいて、その人のスコアは87だったそうだ。エイジ・シューターに成れず、悔しがっていたそう。

ダンディ朝川君はプロレベルのチェロ奏者、今年は演奏会を活発に開いているとのこと。慶応のワグネル・ソサエティ出。奥さんは同じワグネルの1年後輩。

神蔵君はまだ現役、神蔵会計事務所の代表者。

松本君は塾のグライダー部に所属して大空を飛び回った勇敢な男だが、お堅い用心深い神蔵君が、松本君の操縦するフライトに乗せて貰ったことがあったと話が出て、みんなびっくり。よく無事だったなあと。

みんなそれぞれにセカンド・ライフを楽しんでいる。ゴルフの話、株の話、年金の話、地域・武蔵野の歴史の話、そして、今日は来ていない仲間、安藤君や西岡君の話。回顧談は当事者しか分からない話だが、ここでは大いに盛り上がる。

2017.8.10 13:00~15:30 吉祥寺・戎ビアホールにて 

 

 

6/6 東京睦互会開催 あれから1年

【写真】左右は同じ写真。後列左から 鬼頭・前尾・野瀬・青山・矢内・宮渕・矢野・井硲・塚越  前列左から 濱野・片岡・石黒の各氏

 

昨年6月の東京睦互会は例年にはない緊張感があった。加古川から三澤君が別れを告げるために奥さんと一緒に参加してくれたからだ。遺伝性の血液異常の病=酸素を十分に取り込めない=を抱えていた。その彼は昨年12月21日に祈り空しく逝った。あれから早や1年。きょう、本年度の睦互会が、例年の通り、有楽町の帝劇ビル地下の六甲クラブで開催された。


出席者数は12人。そのメンバー構成は例年とは異なる顔ぶれだった。

秋田県角館から石黒直次君、仙台市から井硲弘君がはるばる駆けつけてくれたし、久しぶりに千葉から鬼頭君が顔を見せてくれた。ところが常連だったメンバーが差し繰りつかず、今回は欠席したのだ。

 

欠席者について、私から説明した。

相沢(旧姓山村)君は食道癌を手術した直後のため、青木君は糖尿病で足・脚が痛くて思うようにならないため、俳句と植木職の師匠・長浜君はシルバーセンターのブロック会長に就任してその会合とバッティングしたため、長谷川君は趣味の美術の会の会合のため、成島君も欠席することのできない地域の活動の関係でと理由はさまざま。浦安の藤君は、歩くのが困難で車いす生活になったそう。行けるものなら睦互会に行きたいと悔しそうに話していたことを報告。

 

要するに、出席者は 井硲・石黒・片岡・鬼頭・塚越・野瀬・濱野・前尾・宮渕・矢内・矢野・青山の12人。宮渕君は体力が衰えたというが、確かに体重43kgと聞くと覚束ない気がする。風に吹かれると飛んで行ってしまいそう。はじめは欠席すると返事を寄こしたのに、突然よく参加してくれたと思う。

 

遠来の殿様・石黒君からは、もちろん、お国自慢、四季を通じての角館のすばらしさを宣伝。ご当人も忙しく先祖伝来の石黒家を守り通している由、また元市長時代の話などを披露してくれた。仙台の井硲君はペレットの研究に打ち込んだ話。畑が違っても、かって勤務した会社の話は色んなことを回想させる。ペレットの技術はアリスチャーマーズとの技術提携によるもの。これは私が入社してすぐの開発部技術契約課時代に取り組んだ契約だ。懐かしく記憶が蘇る。

 

以前、石黒君が睦互会に出席したとき、同席していた井上道子さんが、ぜひ角館に行きたいと、テレビに映る角館はみんな見ていると聞いたと私が話したら、石黒君、嬉しそうに、いつでもぜひ来てほしい、と本気で言ってた。

 

前尾君が相変わらず現役で埋蔵金探しのような夢追い仕事をしているとか、矢野君が母校・自由学園のバスケの監督に就任して若い後輩連中を指導しているとか話したのを聞くと、うらやましい限りだ。この頃の私は70代のジジババばかりとの付き合いが多いからだ。そんな付き合いに飽きが来て、昨年から映画鑑賞のサークルを作って楽しんでいるのだが、やはり若い世代との交流の必要なことを痛感する。

 

もちろん若い連中との付き合いはあるが、社会福祉協議会の職員とか、市民協働推進センターの職員とかが多いから、私が本当に(老後に)交際したい人材とは種類が違う。私のほんとの知的好奇心を満たしてくれる人たちではないから。しかし、必要を感じて彼らに接近し、それで彼らの知識は相当もぎ取った。だから、そろそろ卒業して、新たな転進を図りたくなってきただけだ。

こうして、ともに歩く同期会。年齢こそ75~78才と同じではないが、花の同期として付き合いを続けている、気心の判っている連中ばかり。にこやかに、ゆっくり流れるいつもの日常とは異なるリフレッシュ・タイムだ。

 

ただ、料理が~~、仕出し弁当だけ。酒はふんだんにあるが、料理がもう一つだ。どうすればいいか。濱野君が気を使って肴を持ち込んでくれたが…。

5000円の会費なら中華屋でも行けば良いかも知れない。しかし、幹事はしんどい。万年幹事の私としては、言い出しっぺになりたくない。今回は、そういう料理だったせいか、一人当たり4000円で済んだ。1000円づつ返金。これは喜ばれたな。みんな電車賃をかけて来ているから。

 

上の私の写真、集合写真から切り抜いたもの。髪の毛が黒くて、たくさんあるから、若く見える。てっぺんは禿げてるのに、隠せる。シミもうまい具合に見えない。頚柱管狭窄による神経痛で、いまでは楽になったが、昨秋以来、悩まされているなどとはお釈迦様でも気が付くまい。

 

 

 

塾65年卒、中央沿線族のクラス会

2017年1月17日(火) 18時から 

慶応義塾同級生8名と阿佐ヶ谷駅南口の行列のできる店 『豚八戒』へ。都内でナンバー1かナンバー2の餃子のうまいお店という噂の店。予約はずっと先まで一杯。

カウンター8席の1階と梯子で上る2階の部屋という、こじんまりした店。

ビールで乾杯した後は、女の子が生まれると祝うという紹興酒、焼き餃子は5種類で裏返しで出てくる。美味い。美味い餃子を作るのはハルピン生まれの在日13年の奥様と日本人のご主人。芸術家のご主人と沖縄で出会ったのだそうだ。

小さなお店、8人で1階を占拠してしまって貸し切り状態。楽しく賑やかなひと時だった。この後、昨年末に行った「黒猫茶房」へ行って珈琲を飲んで散会。

 

小生、このところ、脊柱管狭窄の神経痛にアタックされて体重は5㎏落ちて、その所為か顔が痩せたしで、顔つきが変わってしまった。なんだか恍けたような顔つきになった。自分の写真を見るのがイヤになった。

 

写真は、安藤、足立両君の撮影。 

 

 

65年入社の同期会〈睦互会〉、 帝劇ビル地下のクラブで

2016年6月10日、正午から午後3時まで、恒例の東京睦互会が有楽町・帝劇ビルB2・神戸大学六甲クラブで開かれた。総勢15人が参集。加古川から三澤夫妻が特別参加。女性は井上さんと矢内夫人が初めて参加して計3人。殆どの男性諸君は1年ぶりの再会。

今回は、加古川から三澤ご夫妻が参加されて、ひときわ懐かしい楽しいひとときと

なった。変わらぬ三澤節を聞いていると、51年前の三ノ宮や六甲が東京・帝劇ビルの会場に再現されたような感じがした。とにかく何といっても睦互会メンバーには阪急六甲の北口のお好み焼き屋「りんどう」の話題が尽きない。

 

また、三澤はかせの鐵鋼ビル時代の初々しいロマンスが三澤夫人の目の前で赤裸々にバラされたのは企画外の特ダネものだった。バラした人は○○○。

 

参加者の一人、長浜君は庭師で俳人、俳句の腕がメキメキ上達しているよう。

彼が一句ひねった。「六甲のひぐらし摩耶へ鳴き渡る」

すると、矢内君が返句 「六甲でナンパした日をがあったっけ」 

   50年の歳月は自然に口を軽くするようだ~~

 

 

当日の楽しくにぎやかな様子は下記写真集に収録。

https://drive.google.com/open?id=0B8FmUhKosv7eMFEzX2VWNUM5Q0k

 

 

♠ 集合写真の名前。

上段 左から

塚越・Mrs.矢内・前尾・成島・長浜・矢内・長谷川・相澤(山村)・野瀬・青山

 

下段 左から 

浜野・井上・三澤・Mrs.三澤・鬼頭  

 

 

 

OB会 みんな元気に集まりました。 神戸からも!

年に1度、毎年4月に開催される元の会社の関連企業部(東京)のOB会。
みんな元気に、最高齢は80歳超、でも全く歳を感じさせないメンバー。二人はわざわざ神戸からの参加。

2016.4.20 東京・日本橋『稲田屋

 

武蔵野の雑木林、満開の山桜 @日立中研(国分寺)

左、朝川慎一君  右、足立英一君  慶応大のクラスメート

日立製作所 中央研究所庭園(国分寺)にて。 足立君が日立のOB。

2016.4.3

(中央沿線族の)慶応クラス会 中野でやりました

平均年齢74歳の慶応(商)のD組、中央沿線族の有志10人が中野に集結。

2016年2月2日火曜日 18:00~


写真にはお店のスタッフ3人がjoin。

そのお店は中野駅北口のセントラル・パーク・サウス・ビル1階のスペイン料理「マドリード」。

 

みんな、塾を卒業して50年を過ぎたばかり。今回の話題はそれぞれの海外生活。20年間海外で、台湾、N.Y.、シカゴ、ロンドンと過ごした関口君が、集まった中では最も長い海外生活者だった。


私は海外生活は短い。中東ドーハに2.5年過ごしたのみで、その間に合計40日間、ヨーロッパ中を家族連れで旅行して歩いただけ。

それぞれ皆さんの生の海外生活情報はリアルでユースフル。

 

それにしても、ワイン・ショップ&レストラン「マドリード」、スペイン料理はおいしかったが、最初から最後までワイン。ワインについてはバカの一つ覚えで「シャブリ」という名前しか知らない私には、こんなハイソでエレガントなパーティは実にこそばゆい。

 

パエリア、私が、真夏にスペインのマドリードからマラガまで、枯れた一面のひまわり畑を見ながらドライブしたときに、途中でBar(バル)に立ち寄っては、私たち家族の口に合う料理としてよく食べて名前を覚えた。当時小学生の子供が喜んだ。ドーハでは食べることのないメニューだった。それにしてもドライブ中だというのに、私たちが、バルで「日本人」だと知られると、ワインを振る舞ってくれたたくさんのお店の親日的おじちゃん・おばちゃんのおもてなしを今も思い出すし、忘れることはない。あれは無案内で心細かった見知らぬ土地でのドライブ中には本当にうれしかった。(もちろんドライブ中でしたから、飲んでいませんよ。ちょっとしか。。。)

 

それにしても、酒・焼酎・イカゲソの世界で育ち過ごした私だから、私はワインのことは全く知らない。わが親父は焼酎を「下品な下級な飲みもの」と言っていた。まっ、わが体には焼酎が美味しい。(舶来のワインに接することが少なかったために知らないだけだ。)

卒業して、社会に出て、それぞれがそれぞれの道を歩んで、また、戻ってきて、半生を振り返りながら、語り合う、同窓同期の仲間はいいな。

 

誰かが、帰り際、言ってたぞ、今度はこのクラス会を台湾でやろうぜ、と。

あっしはパスポートがとっくに切れて、今はないのでござんす…。

準備する? or しない?  さあて・・・  もう海外はメンドーだ。

 

 上の写真は、朝川慎一さんがFacebookに投稿した写真。

 下の写真は、足立英一さんの撮影写真。 

 

仙人の家の忘年会を柳沢の「よりや」で Junさんも参加

2015年12月23日、夕方から忘年会を開催。

写真を見ると小生がやたらと大きく見える。後ろに立てばよかったな。

 

歌声喫茶、健康麻雀、お食事会、閑人会、手作り工房・手芸、懐メロ・クラブ、ケアラーズ・デイ、ハイキング・・・

コミュニティ・カフェ「仙人の家」は毎月たくさんのことをやっている。

 

写真は、ボランティアで演奏を快く引き受ける人、シェフとして腕を振るう人、麻雀や音楽を楽しませてくれる人、閑人会で源氏物語を講釈する人、そして、そこに参加する人たち、仙人の家はもっともっと大勢に人に支えられているのですが、当日、10人が入れば一杯になりそうな小さな家庭料理のお店「よりや」(柳沢駅南口スグ)に集まった人たちです。

 

よく食べ、よく喋り、です。よく飲むかどうかは判りません。焼酎の瓶が一本は空いた程度。中に吉本出身かと思うほど、おもしろい芸人さんもどきがいて、この人のボケが笑いを巻き起こしてくれます。

 

笑って楽しく暮れてゆく2015年。いつまでも続くといいですね。

「また来年もよろしく。良いお正月を!」と言い交しつつ。。。

 

 

慶応大学D組有志クラス会 1965年卒 今年は50年目

2015年12月10日、慶応大学D組クラス会有志の忘年会。足立君から招待メールが届いた。場所は浅草田原町駅前の寿司懐石のお店「日本海」。一人、川口君が欠席だったが、7人が集合。みんな元気ものばかり。

 

写真左から 西岡、鈴木、足立、神蔵、青山、松本、朝川。

 

聞くところによると、中央線沿線のメンバーが集まって高円寺で飲み会を始め、だんだん親しい仲間が加わって来たとか、これ以上になると、なんでオレに声をかけない!ということになるので、膨らましすぎると具合が良くないのだとか。私が招かれたのは今回初めて。西東京市は西武線の町だからということだったそうだ。 僕はレッキとした中央線族だ。通勤は中央線。西武鉄道には現役時代には乗ったことはなかった。
 
常任世話人は”食&ワイン”スペシャリストでミュージシャンの朝川君。朝川君が美味探訪の仕掛け人。彼は商社、トウショクに入って食品分野のエキスパートに。リタイア後は豊富な世界中の食品事情の知識と卓越した手腕を発揮して食品輸入会社を起こして現在もその代表として現役。会社の名前がすばらしい。洋上からの贈り物     Gifts from the Ocean。各種水産物の輸入とともにパラグアイ産マテ茶の販売を行なっている。「今回の「日本海」も朝川君の取引先(顧客)の一つだそうだ。
 
みんなよく喋る連中ばかり。ワインの話など、みんなが話に乗っている。僕だけだ―ワインのことを殆ど知らないのは―。次から次へと切れ目なく自分の関心のある話題が続く。話の内容は世界中の時事的な話題が多いが、鈴木君は現役時代、資金運用に携わっていたのだろう、今も株でしっかり儲けているらしい。その彼が酔が回ってくると、今もモテモテであることを自慢し始めた。カネにモノを言わせているのかな、羨ましいな、これは。
みんな今年は70・50だ。戦後70年目、社会へ巣立って50年目。私の場合はこれに忘れられない20がある。阪神大震災から20年目。時の経つのは早い。神蔵君が懐かしい学生時代の白黒写真を持ってきていた。みんな50年前と変わらない…。
次回は春か、その前か、と話が出たが、結論は幹事任せ。
KEIO BOY。。。
 

KOBELCO 藤君と再会@新浦安・ブライトンホテル 

前に藤君に会ったのはいつだったか、睦互会に彼は来なかったから1年以上会っていないので実に久しぶり。


写真は右から長谷川・藤・塚越・成島・青山。1965年入社の同期仲間。

今回は塚越君が企画して脳梗塞で身体の左半身が不自由となった藤君を見舞う食事会を開催。2015年11月22日日曜日。


藤君の住む浦安のブライトンホテルの2階にある中華レストラン「花間(かげん)」で12時半から3時まで。


昼間から飲んだ。藤君は小さなグラスにビールを1杯だけだったが、他は比留間であることを忘れたように、あるいは無頓着に、ビールと紹興酒を2本空けた。

藤君のリハビリ状況を聞き、みんなの健康/病気の具合を語り合い、一人1.5時間、3500円の食べ放題の中華料理を次から次へと注文して堪能した。


藤君の実家は和歌山の寺の住職、藤君自身は長男だが、三男が住職を引き継いでいるそうだ。そんなことから高野山詣、仏教、仏教にまつわる文化論議、果てはイスラム教、ISまで大いに盛り上がった。


藤君、睦互会参加、一人で浦安から有楽町まで電車に乗ってくるのはドクターストップで欠席せざるを得ないと聞いていたが、そこから想像していたような不自由さは全く感じられなかった。2年前と少しも変わっていない、つまり具合が悪くなっているような様子は全くなかった。元気そのもの。さすがにアルコールは飲んではいけないらしいが、食べる方は元気そのもの。みんな大安心。


藤、長谷川、塚越の3君は東京外語大、大阪外語大を卒業して機械エンジニアリング畑一筋でプラントエンジニアリングビジネスで海外を飛び回ってきた猛者。成島、青山は本社部門を主に歩いてきた。


みんな企業戦士の特命任務を退役して今は現役時代を振り返りつつ、それぞれのスタイルで悠々と新たなリタイア後の生活を送っている身分だ。それぞれに満ち足りた気持ちが漲っているように見える。

東京雑学大学で校外学習 立川防災センターで体験

2015年11月16日、東京雑学大学の有志19人は立川市の立川防災館を訪問、みっちり防災の心得を勉強し、大地震の備えを学んできました。

 

インストラクターの米山さんという方(下の写真の右上)は聡明利発な方でした。説明が巧みで愛嬌があり、防災教育のフロント・ランナー、間違いなし、という方でしたよ。

 

その内容は、同志、三浦昭憲さんがすでにご自分のブログに書かれていますので、私はちゃっかり、そのURLをここに書いて、見ていただくことにし、私からの内容説明は省略します。

 

http://blogs.yahoo.co.jp/a070037/13655899.html

 

なにせ、このところ超多忙で、ブログ更新もフェースブックへの投稿もままなりません。

 

タマガワ・リーグ キックオフ大会に参加

多摩まちづくりOM(Off-site-Meeting)=タマガワ・リーグ=が立川市の自治大学校で開催され、参加してきた。2011年11月7日(土)

 

集った90人は殆どが公務員、それも山形、伊丹、佐賀、その他全国各地から集まって来ていて、これには驚いた。一般市民は僅かだった。さらに懐かしく思ったのは3~4年前に会ったことのある小平市役所の皆さんにたくさん再会できたこと。Facebook 友達が増えた。

 

また、自治大学校という学校を初めて知った。地方公務員の政策形成能力や行政管理能力を養成する大学校だ。平成15年に麻布から立川に引っ越してきた総務省所管の学校。

 

基調講演でNPOフュ―ジョン長池の会長・富永一夫さんの話は刺激的でおもしろかった。続きは 2015.11.7付ブログで。

 

写真の説明

上2枚…集合写真で 多摩の「T」と、川の意味で両腕を顔の横に上げて「川」をイメージ、真面目に言われる通りにやってる小生!!!

集合写真では小生は下から2段目の右から4~5人目、下の2枚では中央演壇の前の白のYシャツ姿。後頭部の薄さが目立つ。


ふしぎな関係 『神鋼4人会』     2015.9.26

社会人1年生になって以来、50年経過。そして戦後70年、阪神大地震から20年。

 

不思議な縁が続く4人。神鋼に昭和40年4月に入社して東京支社(当時)に配属された同期。左から古川、前尾、井上(旧姓田沢) & 青山。古川さんは44年に、井上さんは昭和45年に、前尾君は48年に退職した。小生は勤め上げた。

入社以来、50年経った今もお喋り会を持つ。久しぶりに銀座・インズ2のスーパードライ・アサヒ・ビアレストランで「4人会」を開催。一昨年、横浜で会って以来のこと。(アサヒ銀座店は今月末で閉めるそうだ。)

近況の話、どうしても健康の話が増えるのは仕方がない。前尾君がすこし足を引き摺るような歩き方だったので聞くと、小生と同じ腰部脊柱管狭窄症という。

いつものことながら前尾君の豊富な話題が座を盛り上げた。彼の交友関係がもたらす、普通の人が知り得ない話題、ウラ情報とでもいうのか、実際は…という話についつい引き込まれる。ホラでもなんでもこの手の話は実におもしろい。

今回は横田めぐみさんの話が出てきた。実際はもう亡くなっていると。さらに小泉首相が乗り込んで拉致された5邦人を連れ帰ったが、そのために多額のお金を北朝鮮に支払った、等々。国民の知らない埋蔵金(?)300兆円の中から支出!?

 

いろいろびっくりするような話題に旨いビールが進む。 確かに帰宅してネットで調べたら、間違いなさそうだ。そりゃあそうだろう、タダで返してくれるわけはない。お土産に松茸を持ち帰った話などはマスコミは報じるが、一致して伏せるところは伏せてしまうようだ。

 

それに彼が食用油について薀蓄を語り出したのには驚いた。健康のためには油は選べと。米油が良いとか、チアシードが良いとか彼はいう。検索すればダイエットに良いと出てくるが、これらは食用油の代用品か? 例えば、てんぷらを揚げる油に使えるものかな??? 

12時前から15時過ぎまで、あっという間の3時間、キンキンに冷えたアサヒドライがうまかった。

われわれの同期の仲間、加古川の三沢博士君(76)が、聞いたことのない「赤血病」(遺伝子の病気)という病名の体力が衰える難病に罹って、余命いくばくもないそうだという。根本的な治療法はないそうだ。聞いた時はみんな凍りついた。矢内君が8月に神戸へ行ったとき、寄り道をして三沢君に会ってきたそうだ。三沢君は今は耳が不自由で残念ながら電話をすることができない。奥さんが対応する。三沢君には闘い抜いてほしい。神仏のご加護を祈るのみ。

 

井上さんからメールが来た。「楽しいひと時だった、健康でお喋りできるのは幸せ」と書いてあった。その通りだと思う。

 

備忘録 : 前尾君の娘さんは、絵本作家 まえをけいこ さん → HomePage

 

 

ほにほに 地域交流懇談会     2015.6.27

2015.6.27 ふれあいまちづくり住民懇談会「ほにほに」のメンバー
2015.6.27 ふれあいまちづくり住民懇談会「ほにほに」のメンバー

社協が提唱する「ふれあいのまちづくり住民懇談会」を東伏見コミュニティセンターの会場で開催。

 

40人が集まり、シニアを対象に恒例の昼食会ですが、今年は嚥下体操に加え、初めて歌声喫茶を開催。有馬将由(ありま・のぶゆき)さんのハーモニカによる演奏に合わせて、参加者は大きな声で元気よく歌いました。

この企画は参会者からもスタッフからも大ヒットでした。

 

「ふれあいのまちづくり」活動は、市内の小学校通学区域をブロックとして自分の町のご近所と知り合いになり、安心して暮らせる町づくり、助け合う町づくりを目指す活動。私たちは保谷第二小学校の通学区域を分担して活動しているので、活動団体の名前は「ほにほに」と名付けられたものです。創設以来、もう12年が経過するそうです。 ほにほにのメンバーが写真の方々と私です。

 

私自身はやがて歳をとればお世話になるかもしれないと思って、お勉強の積りで入会したら、そんな活動のメンバーに加わえられ、そして、今年の4月から「ほにほに」の代表に祭り上げられてしまいました。こんな筈ではなかったのに、と思いつつ、就任させられた以上、責務、役務を果たしていこうと思っています。
課題は、世話人が足らないこと。私の課題は一人でも二人でも増員したいことです。写真の通り、若い人も勿論いますが、平均年齢はやっぱり高い…。若い男性は普段は市内のデイサービス会社に勤務する社会福祉士の馬渕さん(=上の写真・前列左端) そして、女性の一番若い人は安心と互助のために毎日忙しく走り回る民生委員の神崎さん(=上の写真・後列右端)


まちの人たちとミニ・ツアー   2015.6.23

20150623 西新井大師 總持寺(足立区) コミュニティカフェ 仙人の家 のスタッフたち
20150623 西新井大師 總持寺(足立区) コミュニティカフェ 仙人の家 のスタッフたち

まちのサロン「田無なおきち」で歓談 2015.6.22

2015.6.22  Junさん  yanoさん  うららさん @田無なおきち
2015.6.22 Junさん  yanoさん  うららさん @田無なおきち

東京雑学大学のスタッフ 全員集合   2015.6.13


東京雑学大学(雑大)

リアルな市民大学 でも校舎のない大学 キャンパスは市内の公共施設。

私は自宅の近所に住む理事長、菅原珠子さん=写真・前列中央=に頼まれてスタッフをしている。


講師は著名な先生から一般市民まで専門知識を持った人たち。学生は知識欲、好奇心に溢れる市民。毎週木曜日の午後2時間講座が開かれる。だから、シニアに人たちが多い。毎回、50~60人が集まる。


講座・科目は全範囲だ。サイエンス、政治・外交、ジャーナル、産業、スポーツ、文化・歴史、江戸城再建計画、能や猿楽など日本芸能の話まで様々。企業に勤めて研究開発畑一筋でやってきた人の、例えば、化粧品、食料品、ワイン、医薬品などの開発の話は大変におもしろい。


写真は 6月13日に雑大が開催したフォーラム「玉川上水と文学」の開始直前にスタッフが集合して撮影したもの。西東京市民会館の大ホールにて。


スタッフの仕事は講演依頼から会報・チラシ作り、会場手配、設営…といろいろとあります。




KOBELCO 東京睦互会        2015.6.5

やはり一番若いと言われた。

満更でもない気持。確かに髪の所為だろう。歳相応で良いと思っているが、髪が薄くなるのはやはりイヤだな。


出っ腹が目立つ。 ジャケットを着ればよかった。 写真を撮る前にテーブルを片付けないと…
出っ腹が目立つ。 ジャケットを着ればよかった。 写真を撮る前にテーブルを片付けないと…


恒例の睦互会(むつごかい=65年入社の同期の会) 

有楽町・帝劇地下の六甲クラブで、6月5日、12時から15時まで。

10人が集まった。

 

この会に初めて参加した青木君(写真の前列右端)、3年前、脳梗塞を起こして少々不自由になったこと、同時期に早稲田の同窓会があって、その幹事をしているため、昨年は参加できなかったと最初に挨拶したものだから、暫くは病気の話が続いた。成島君の心臓のステント挿入の話、野瀬君のPSA値・前立腺検査の話、宮渕君の咽喉癌手術のその後の経過話など。昨年来、新たに病気に罹ったという仲間はいなかったが、闘病話は耳目を惹きつける。
それに引き換え、元気そのもの浜野君などは毎週2回はゴルフに興じ、また物見遊山で海外旅行に頻繁に出かけているなどと話すものだから、羨ましがられこと頻り。健康であることよりも金があるな~という羨望の方が強い。

 

みんな驚いたのは、矢内君の1日の生活スタイル、なんと朝は4時に起床、19時就寝。食事は、朝5時頃、昼前の10時頃、夕方4時頃の3回にとるのだそうだ。

もちろん奥さんも一緒。理由を聞いたら、これが体に最も良いというだけ。

日の出とともに起きて、日没とともに休む、というやつか。

 

矢内くんは65年入社の同期だが、5年で退職、経営コンサルタントの道へ進んだ。東大法卒。

 

その彼、矢内世夫君は福島県双葉郡富岡町出身。原発被災でまちに住めなくなったところ。住民は避難民として全国に散らばっている。そこで、彼は原発被災者義援の会、原発被害者の会を立ち上げ、その代表として活動をしている。

 

現在は「原発被害者生活支援法を実現する会」と改称して、国会議員に対して法案成立のための陳情を重ね、代議士たちに個別に面談を申し入れては説明を続けている。

 

彼が珍しく弱気でぼやいた。地方の代議士は週末はお国入りで東京には不在、火~木の間、会うことができてもせいぜい20~30分以内、会うこと自体が大変なこと。それにもはやフクシマは関心が薄れてきていて、話を聞いてやろうという人は少ない。住民の署名をいくら集めても、それは有効手段にならないのだと。

 

私も西東京市の都営アパートに仮住まいをしているフクシマ難民を取材したことがあったが、彼らは一様に、いつ帰れるのかと行っていたのを思い出した。矢内くんの話の様子では、帰れる目処など立たないのではないか。それに彼らにたいする保障もどこまでできるのか、先は全く見通せない。私たち国民は復興税と称する税金を払わさられたのに…。マスコミは何も言わなくなった…。

 

まあ、これは私も関心あることで、少々書き過ぎた。

 

15時までの間、今回は神戸の同期の仲間の消息が話題になった。神鋼に在職していても勤務地はバラバラ。みんな入社直後の2ヶ月を過ごした集合研修のときの思い出が強い。大勢の名前が出てきた。それぞれについてその後を知るものが話をした。矢内君は何年か前に三沢君にあったそうだ。三沢くんは入社まもなく東京勤務の時代があった。

 

秋田の角館の石黒君、仙台の井硲(いさこ)君の話題も。相澤(旧姓山村)君が今年の5月末に東北の春めぐりバスツアーで石黒家にも立ち寄ったそうだが、桜はもう散った後だったそうだ。今年は開花も散るのも例年より早かったそうだ。石黒直次くんには逢えなかったとのこと。

 

回顧談、旧友との昔話はいいもんだ。昼間からよく飲んだ。私の周りに4~5人が集まって、結局、720mlの「いいちこ」の瓶2本が空になった。向こうではワインの瓶がやはり2本空になっていた。

 

写真集:https://goo.gl/J7zYaa

 

KOBELCO 関連企業部OB会     2015.4.20

1年毎定例のOB会、最長老は佐藤真澄さんの80才。

13名が集合。神戸から藤川泰延さんら2名が参加。幹事はいつもの西川義永さん。

みんな変わらない。参加者の平均年齢はおそらく70才を超えたところか。

 

12時から八重洲の稲田屋(いなたや)はなれ(中央区八重洲1-4-16 ☎03-6265-1708)で上品な料理で酒盛り。ワインを飲む人が増えたな。

 

出身地が安倍総理と同じ山口県という藤川さんが山口の銘酒「獺祭」(だっさい)を持ち込み。「やっぱり うまいね~」かなんか言いながら、みんなで賞味。

 

みなさん、それぞれ近況報告を順番に。元気だから集まるのだろうが、みんな好きなことをやっていて元気。週一、時には2回もというゴルフ好き。地元で老人クラブの会長をやっている人、囲碁など趣味の世界にのめり込んでいる人。旅行を楽しんでいる人。それぞれのライフスタイルだ。

 

小生は地元でミニコミ紙作りをやっていること、リタイア後の「まち活」推進活動を推されてやっていることを話してきた。

 

以下は西川さんから送ってきた写真集 

https://www.dropbox.com/sh/1yfj43e5g5m8jpk/AACja3PEAs1J-_dT3T0vLFuWa?dl=0

 

慶応義塾大学入学式に招待されて 2015.4.1

4月1日(水)午前10時から日吉記念館で平成27年度の大学入学式が挙行され、出席してきた。
午前の部と午後の部に分かれて開催。午前は法・商・理工、午後は文・経・医・総合政策・環境・看護・薬だ。

卒業後50年経った私たち塾員、昭和40年卒業者には、塾長から招待状が届く。


久しぶりの日吉、門から記念館までの続く長い銀杏並木道は人・人・人…、新入生・父兄・招待者、おそらく5000人以上が集まったことだろう。広い記念館内はびっしり、しかし、整然と席が並び、みんな粛然と着席。ただし、招待者席の後部座席では久し振りに出会った旧友たちの談笑が響く。


清家篤塾長は式辞で、新入生に対し、福沢諭吉先生の文明論を引用しながらの慶應義塾で学ぶことの素晴らしさを訴えた。

1時間の式典の後、招待された塾員は食堂棟に移動して卒業50年祝賀パーティ。ここでも清家塾長が祝辞を述べてレセプション。500人、いや1000人か、こちらの会場も大混雑。


私は商学部Dクラス、クラス仲間は15人ほど参加。遠くは札幌、岐阜からわざわざ駆けつけた仲間も。参加者のほとんどが昨秋のクラス会で会っているので、再会の感激度は高くはないが、それでも50年目と言われれば、それぞれいろんな人生を歩んで、いま元気でいることに改めてカンパイの声が響く。


久しぶりに「慶応賛歌」「丘の上」そして「若き血」を絶唱。祝賀パーティのあと、いつものように、二次会というほどではないが、クラス有志が集まってビールを飲んで午後3時前に散会。いつもとは違うちょっと刺激のあったひとときを過ごした。


①日吉駅前から記念館を望む ②当日の小生 ③祝辞を述べる清家塾長 ④会場全体 ⑤昭和40年卒業生歓迎パーティ ⑥商4Dクラスの参加者メンバー

慶大商学部 昭和40年卒 D組クラス会 

2014.11.27(木)品川プリンスホテル・メインタワー39階 「Top of Shinagawa」でクラス会。


もらった名簿によると、Dクラスは69人とある。当時、こんなにいなかったと思うというと、後々編入などがあって記録上このようになっているのだそうだ。そのうち23人出席。69人の中には連絡先不明者10人、物故者7人が含まれる。

遠くからの参加者は札幌、名古屋、岐阜、長野から。


見晴らしの良い品プリの最上階のルームを借り切って12時から14時まで。

幹事の神蔵君、足立君らから、都合により参加できなかった人たちの近況報告、来春は卒業後50年目に当たる私たちが塾の入学式に招かれて参列する順番になること、またそのとき会えること、そのために例によって寄付の依頼がきていることなど話があった。続いて、12時半過ぎからは参加者全員が順番に自分の近況、現役時代の経験などを話していって、それが終わったら14過ぎ。2時間は短い。


毎年の定期開催ではないので前回は2年前。それにしても、会った瞬間は誰だっけと思うのだが、少し話をするとたちまち50年前の面影と情景が懐かしく浮かび上がってくる。頭の薄くなった人、禿げだした人、72~3歳以上だから当然だ。でも、結構、この会は黒髪の人が多い。スーツにネクタイ姿が殆どなのは意外だ。


海外勤務経験者が多い。現役時代の大半を海外で過ごしたという人もいる。私のような中東の砂漠の国ではなく欧米勤務者が殆ど。私がカタールに滞在中、出張で訪ねてきてくれた丸紅の山中君と久しぶりに再会した。懐かしい。


ブラジルに長く勤務したという人もいるが、多士済々、住友銀行のトップになった人、熊平金庫の社長、税理事務所長、卒業後すぐ親の事業を引き継いだ自営の人・・・、とにかくみんな昭和40年から今まで働いてきた人たちだ。


クラス会に参加する人は、当然のことながら、みんな元気だ。私が見る限り、この仲間は殆ど痩せ型だ。勿論0.1トンのヤツもいるが、何かしら体重に気を使ってエクササイズに努めている連中が多い。まあ、話題は健康のことが多いからこんな様子が見えるのだが。


飲みものはビール、ワイン、ウイスキーで、酒や焼酎は見当たらない。立食。はっきり言って、それほど高級な食材を用いた料理はなかった。そこらへんのメニューだ。寿司、やきそば、からあげ、春巻きみたいなもの、サラダなどなど。それにスイーツとフルーツ。いまは必ずスイーツが出る。昔はこんな甘いものは出なかったし、だから食わなかった。


話に夢中で、会費7000円分は食べ損ねた。やはり2時間は短い。次回は、3時間へ。20数人が5分も10分も喋ったらたいへん、個々の交流の時間がなくなる。提案しよう。


久しぶりに懐かしい面々に再会してうれしいのはタイムスリップ体験だ。


有志は同じ品プリ内にあるカラオケへ移動、私は二次会へは行かず一次会だけで辞去。

2014.6.5 Kobelco 睦互会

集合写真、前列左から順に、浜野・矢野・長谷川・宮渕・片岡

後列左から、 青山・塚越・相澤(山村)・前尾・野瀬・長浜・島田

 

6月5日は睦互会(むつご・かい)の日。 私は万年幹事。

いつものようにお堀端の帝劇の下の六甲クラブに、今回は13人が集合。

みんな年を重ねると、恩讐を超えてというのか、今まで余り喋らなかった人も同期の誼で胸の内を吐き出すようになるのかな。これが今回気付いたこと。

 

福島県双葉郡富岡町出身の矢内世夫君は「原発被害者生活保障法」の成立を目指して国会議員との折衝を続けている。本年1月法案としてまとまり、現在、議員立法に必要な50人の同調議員を集めている最中だとのこと。検索→矢内世夫

 

矢野信治君によれば、最近、歴代の神鋼社長3人が安倍晋三総理大臣に招かれて官邸で懇談したという。安倍総理は成蹊大学を卒業して(77年)、語学研修を終えた後、短期間であったが神鋼に就職、鉄鋼輸出部に勤務した。そのため、神鋼には世話になったということで、安倍総理の計らいだそうだ。矢野君も陪席。

矢野君は今は住んでいる東久留米市学園町の自治会長をし、そして、母校、自由学園のバスケット部の監督をしているそうだ。若いもんに大声で指導? 怒鳴る?のは気分のいいもんだと。

 

前尾光賢君はいつもの通り。彼は何が本業だか判らないが、怪しげな埋蔵金探しみたいな話を真剣に語っていた。彼は前尾繁三郎の甥っ子。

 

島田博夫君は親知らずを抜歯して昨日退院したとのこと。右頬を腫らして参加してくれた。握り寿司を全部食べてくれたので安心。まだ現役、神鋼退任後、Shimabun Corporation の会長に就任。社長には霞ヶ関の若いエリート役人を引っこ抜いたという。

 

食道がんで手術をした宮渕親二君は体重が40kgしかなかったが、今は増えて喋り方も普通で元気になった。炭素カーボンのサイクリング車で電車を使って遠方を ride and cycle 旅行しているという。

 

藤太君は脳梗塞の後遺症でリハビリを続けているが、今回は腰痛が重なって歩行が不安との理由で欠席。

 

青木壮司君が久しぶりに顔を出す予定だったが、最近、足の手術をしたため慎重を期して突然の欠席。糖尿病。小平市に住む彼には近いうちに会う約束をしている。

 

長浜肇君、若い頃からひげの濃い顔をしていたが、それが退職後はシルバーセンターに登録して剪定業をやっているとのことで、日焼けした顔に黒の剃り跡の顔つきは、神鋼で海外を飛び回っていた営業社員とは余りに程遠い。そして、俳句の達人だというから、ひとは見かけで判断したらいかんね。(これは私の偏見!)

彼の即吟、「六月や 老いの集まり、睦互会」

 

野瀬惟紀夫君、碁会所通いのうらやましい生活の由。技量は8段だとか。普段は5段程度と云っていると謙遜。すごいものだ。

 

写真は浜野昌弘君の撮影です。

また、来年、6月5日、六甲クラブで。  再見。

2014.4.4 Kobelco 関連企業部OB会

12:00 真ッ昼間から上野精養軒で飲み放題付きの上品な肉コースのOB会。そして、15:30から、上野公園へ花見。もう葉桜、強い風で見事な花吹雪。大勢の人・人。日本語以外の言葉がたくさん聞こえた。我々の平均年齢は恐らく73くらいか。最高齢は82歳の方だが、昨年は参加されたのに今年は欠席された。

 

わたしを見て太ったかと皆がいう。体重は80kg前後で太ったとは思わないが、しかし、膨らんだのは事実だな。

 

関連企業部は私は2年間部長を務めた部門だった。このOB会の参加者は、私が在籍していた当時は、出向して関連企業の業務に従事していた人が多く、私が、直接、上司、同僚、部下として一緒に過ごした人は少ない。しかし、毎年、変わらず開催され、お呼びがかかるので参加している。年2回、開催を提案する人がいるが、私は年1回でよいと思っている。

 

 

リハビリ中の藤君をお見舞い 神鋼の同期仲間

2014年1月22日 午後

▼旧友と云っても、かっての企業戦士だから戦友。50代に入ると、やがて霞が関よろしく篩いにかけられ関係会社の役員にされて散って行く。そうして最後の10年以上はグループ内別会社に離れてそれぞれの持ち場でご奉公だが、元は重厚長大企業の同期の桜。この同期のつながりは終生変わらない。社会に入ってからはでは、自分の入社した会社を土台にして担当する仕事の展開から他の関係する分野に知り合いを作り増やして行く。たったの40年。この間に多くの心を許して語り合える友人をたくさん持つことが出来たらほんとうに幸せ者だ。


▼先日1月22日、神戸からエンジニアの岡宣夫君が東京へ所用でやってきた。アイディアマンで早くから新技術開発の専門会社の社長になって社会に貢献してきたマルチ・タレントな男。早速、親しい仲間が集まった。藤太君、長谷川清彦君、塚越梱君と小生の計5人。みんな地球上を狭しと歩き回ってきた猛者ばかり。(東京で神戸の技術系を知っている仲間は多くない。)場所をどうするかで相談の結果、京葉線・新浦安の藤君のお宅へ。その理由は、藤君は、もう10年前になろうか、脳梗塞で左半身が不自由な身。リハビリに努め元気を回復しているが、しかし、お天気によっては東京駅近辺まで杖をついて電車に乗って来るのは不安だ。そこで藤君ご夫妻の呼びかけに応じてお邪魔することとなり、午後3時過ぎから6時ごろまで歓談した。奥さんには正月早々からご面倒をかけた。藤君は顔色良く元気そのもの、会えばお互いの家族のことから健康の話、現役時代の武勇伝、功績話、失敗談・・・まで尽きない。肝心の岡君が風邪気味で不調な様子。奥さんの手料理のローストビーフからおでん、それにお寿司の殆ど手を付けられなかったのは残念。


▼『シャブリ』のこと。この日、ワインを持っていこうということになって、私が手配することになったのだが、ワインをよく知らない私は店主の勧めでシャブリを購入 。これが海外勤務の長いワイン通のみんなにバカ受け、よくこんなの持って来たなあ、だって。私は日本酒党、ほんとは日本酒を飲みたかったのだが、酒を控えている藤君の手前、遠慮してシャブリを飲んでいたが、これでは日本酒のような酔い方はしない。しかし、これからワインといえばシャブリと覚えておくは良かろう。高い方だ、720mlで2000円ほど。


▼友、遠方より来る、酒を酌み交わしながら懐古談もいいもんだ。地域の私の周囲に、リタイアしたら一切元の会社の仲間とは付き合いをやめ、新しい世界で新しいことをやる、とい言い切っている人がいるが、何故、そんなにまでする必要があるのか。知人・友人は財産、知人・友人のひと言が自分の運命や人生を変えてしまうことが多々ある。交流を絶ったらきっと後で(死ぬ前に)後悔するだろうな、と思う。


 

 

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