三澤博士が逝った

12月21日夜、加古川の三澤博士(みさわ・ひろし)さんがとうとう逝ってしまった。昭和14年生まれの77歳。阪大修士・溶接技術の専門家。

遺伝子系の異常により赤血球が機能しなくなり、減少していく病気だとか。赤血球が減少していくと酸素が身体に運ばれなくなり死に至るという難病。ずっと輸血を続けていたという。

医師から、一昨年、診断を受けたとき、余命1年半と宣告されたというが、それより3か月長生きして、ついにその日がやって来た。悪化の要因はインフルエンザが災いしたらしい。それで、もう輸血は要らんと断ったらしい。そして、自宅で家族のみんなに看取られながら静かに息を引き取ったという。

本人は、覚悟を決めて、もう年だから自然に任せると言っていたそうだ。延命は要らないと。
1年9か月の間、彼は会いたい人に会うために巡り歩いたという。時には奥さんも同行したとか。九州にまで足を延ばしたという。
彼はとにかく豪放磊落、鋭い感性と三澤節と言われるが独特の話術で同期仲間、職場仲間を魅了してきた。しかし、ときに出るムチャ振りは周囲の人をハラハラさせた。だから彼は愉快なのだ。サラリーマンらしからぬサラリーマン。

私にとっては兄貴という感じ。いつも大声で正義を貫く。おかしい事象は彼にとっては絶対的におかしいのだ。許されることのない事象なのだ。酒席で暴れるのはそいうときだ。だから、そばにいて痛快極まりない男だった。いつも陽気と短気を共存させた男。いろいろ思い出す。

死んだと連絡をもらったときは、正直、動揺した。覚悟していた余命が消えたと思いつつ、ショックだった。今まで訃報に接して動揺を感じたことはなかったのに。喪失感を味わった。こんなことは初めてだ。

あの豪放な笑い声はもう聞けない。

今年6月の有楽町・帝劇下の六甲クラブで開催された睦互会で会ったのが最後。彼は奥さんと共に、東京睦互会のメンバーに別れを告げるために上京したのだ。

 

三澤、安らかに眠ってくれ。もう何も心配はない。お疲れさん。さようなら。

 

 

 

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