『陰徳を積む』

人知れず良い行いをしていれば、必ず良い報いがある(←中国の前漢時代の言葉です)。

この中国の言葉には次の逸話が付いているそうです。
名君と知られている荘王は、ある日多くの臣下と酒宴をおこなっていた。
その酒宴で、暗闇の中、誰かが王の側女にいたずらをした。
側女は、証拠があるから犯人を探すようにと訴えたが、王はそれをはねのけた。
二年後、天下分け目の戦に挑んだときに、大変な働きをして自軍を勝利に導いたものがいた。
王はその部下に目をかけてやった覚えがないが、その部下いわく、
「私は死すべき身。かつて酔って無礼を働いたとき、お隠しいただいたにもかかわらず何のご恩返しもできずに…」と。
この逸話に続くのが、先の「人知れず良い行いをしていれば、必ず良い報いがある有陰徳必有陽報)」です。

陰徳が実際に何をすることなのかは、そのとき、その場の状況で判断するしかないと思いますが、要するに、陰徳と呼べる「良い行ない」というのは、人知れず、または人が知ろうが知るまいが、自分の利害に反してでも行なうような振る舞い、というようなことだと理解してます。

またもう一ついえるのは、陽報が現れたときはじめて陰徳を知る、です。陽報の約束がなければ陰徳を積まない、そういう人に陰徳を積むことはできないはずです。




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