サポーターの幹事(私)、 敗因を語ります

 

この文章は実際に中野さんに返信した文章を加工して、

詳細に書き直したものです。私の「選挙応援回顧録」です。

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中野さま

青山です。

 

いろいろとありがとうございました。

私はまさに初体験、好奇心から、有馬さんに事務局を

頼まれたとき二つ返事で引き受けOKをしたのですが、

残念ながらド素人には強いエンジンにはなれませんでした。


準備期間がなかったということよりも、率直に言って、

有馬さんは普通にやることをやらないでも当選できると

見通した節があった。だから、私は今回の敗因はやる

べきことをやらなかったからだと思っています。

 

有馬さんが何故そう見通したのか、何度か訊いたけれど

教えてはもらえませんでした。判らずじまい。有馬さん

のインスピレーションだったのかも知れません。きっと

そうでしょう。


いま、結果を見て感じることは、何も勝てる根拠は

なかったのでしょう。何か妄想・妄念のようなものが

有馬さんにあっただけだったのでしょう。


おそらく、有馬さんは普段の市内での活動を通じて、

顔と名前は十分に知られていると思い込んだのでしょう。


有馬さんから、今年3月下旬、初めて選挙に立候補すると

告げられたときから起算すれば半年以上あったのですが、

その間、準備らしきことは何もしていません。これが

真実です。


私は不思議に思い、いや、不安に感じて、1500票の

読みはあるのかどうか、何度となく訊ねてもその応えは

ありませんでした。しかし、黙々とマイペースで進めて

行く有馬さんの姿は何かを確信しているようでした。

途中、随分と大丈夫かと言うと、少々不機嫌になられた

ときもありました。大丈夫な訳がないだろうという感じで。


有馬さんは自分で何でもやる人でした。事務局を使わない。

遠慮かも知れません。立候補申請に当たって選管から

多くの書類と作成方法や注意事項をまとめた手引書などの

分厚い文書類が渡されましたが、結局、私に見せることも

せず、全て自分で作成されました。このことは有馬さん

と事務局は一体になり切れていないことを示します。

(私の好奇心は手引書を見ることだったとも言えますが、

これが満たされなかった。)


選挙の基本は、「組織つくり」と「顔と名前を覚えて

もらう」、の2つ。やらなければならないその両方を

やらなかったのです。

これが敗因ではなかったのでしょうか。

 

私は半年かければ、当選圏に入れると思っていました。

それには、その2つのための準備をする必要がありましたが、

それをやらなかった。準備できなかったのではなく、

準備しなかったのです。


終盤の選挙戦の1週間、私たち応援仲間が行う応援演説に

煽られて、そして、他候補が辻立ち演説や選挙カーに乗って

流しを行う様子を見て、12月14日から20日にかけての最後の

1週間の間に段々と有馬さんは度胸が付いて来たようでした。

最後の最後の1週間でようやく火が付き、スイッチが入って、

積極的になって行きました。奥さんも駆けつけたからかも

知れません。道行く人に手を振り、挨拶をし、言葉をかける

ようになっていったのです。

その所為か、有馬さん、投票日直前の日々は何だか体から

心が離れていたような異常な心理状態のようでしたね。


冷静に見れば、政治活動の期間、半年間、この期間に準備が

なかったのです。

駅頭や大型スーパー前などでの辻立ちを一切しなかった、

これは当初からやらないと明言していました。

時間は半年間もあったのに、です。


戦いが終わって、有馬さんと投票日の前に話したこと、

「落ちても後悔は決してしない」でした。それだけ、

サポーターはみんなベストを尽くしたという感覚でした。


私は、選挙期間中、冬の日暮れの早い、雨の降る冷たい

風の中で、街頭に立って、マイクを持って「有馬をよろしく」

と訴え続けてくれた若い3人のウグイスのみなさんに心から

謝意を表したいです。8時から20時までの長時間だった。

鈴木涼子さん、鵜沢朋子さん、石川ひとみさん。それに

有馬さんの娘さんの駒子さんにも。みなさん、ほんとうに

ご支援ありがとう。みんな爽やかな喋りの上手いナイスな

人たち。風のように現れて、そして、去って行きました。

 

さてさて、過信か盲信か、それとも無知による暴走だった

のか。勇気だったのか、無謀だったのか。

失敗したような気持ちが沸かない。悔しさを全く感じない。

私は妙に清々しさを感じます。やり終えたという清々しさ。

 

有馬さんの40%開票率のところで早々と敗北宣言を出して

しまいましたが、その電話の向こうの有馬さんの声に私は

落胆色を感じませんでした。

 

有馬さんの出馬の思いは、段々はっきり見えてきたのですが、

「地域で長く活動していて、改革すべきことがたくさん

見えてきた、一番それが判った自分が市議会に入って改革の

実現を図ってもっと暮らしやすい町にしたかった」という

気持と情熱が十分に有権者に知られないまま日々が打ち

過ぎて行き、投票日を迎えてしまったのです。

 

私に、有馬さんは495票もよく獲得できたね、と言う人が

結構多くいました。

私は喜んでいいのか、悲しむべきか、それには応えられません

でした。当選者の最低獲得数は1500票よりも少ない1131票

でした。投票率41%。28議席に対し36人が立候補で激戦。

 

有馬さんは「酔狂だった」と感想を言われた。

今77歳、高齢の故に4年後の次回選挙にはもう出馬はしない

と語っています。

そのため、自分の思いを継いで議会で活動してくれる人を

発掘して、自分の気持ちをその人に託して、その人を応援

したいと新たな意欲を示しています。

 

私も、元気だったら、今度はその人を応援しようか。。

今回の小さな経験を活かしたい。サポーターは忙しくなるが。


出馬・立候補は決してギャンブルではない。

作戦次第で当落の予想は必ずできる。

準備不足という言葉が残るのはいけない。


(了)

 

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On Mon, 22 Dec 2014 10:28:44 +0900

中野行政法務事務所 


青山様


 お早うございます。

行政書士の中野でございます。

いつもお世話になっております。


 この度は、大変お疲れ様でした。

疲労で風邪など引かないようにご注意ください。


 自分としてはいろいろ勉強になって

ありがたかったです。

また、民生委員の立場もあり、あまりお手伝いが出来なかったことは

申し訳なく思っております。


 一度、反省会(残念会)的な場を設けたいですね。

この経験は活かしたいと思います。


 やはり、準備期間が短いのは否めませんね。

当選結果を見ると、党の組織票と言うのは凄いですね。

無所属はことごとくやられていますね。

有馬さんは出ないとか言ってますが、自分としては

80歳越でも出た方が良いとも思っています。

その時に出る出ないは別として

「シニア新党(仮)」みたいに党にして

青山さんに立候補してもらうためにも

今から4年計画で活動しても良いかもしれませんね。

何とか1500人ぐらいの支持者が集められるように出来ればとも

思います。

まっ、半分本気です(笑)。


24日のきらっとシニアの定例会で、青山さんが撮ったビデオの

データをブルーレイに焼いたのをお持ちします。


よろしくお願い致します。


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From: aoyama-yas 

Sent: Monday, December 22, 2014 9:12 AM

To: aoym@muc.biglobe.ne.jp 

Cc: 'ichigoclub' 

Subject: ご支援ありがとうございました


有馬さんのサポーターを努めて頂きました皆さま

昨日の選挙は誠に残念な結果となりました。

事務局を務めておりました私と致しましてはわが非力を痛感

しております。


寒い中、お天気の悪い日も、皆さまにはたくさんのご支援を

頂戴致しましたことに対し、ただひたすらお礼を申し上げる

のみです。


ありがとうございました。重ねて心からお礼を申し上げます。


ご参考 選挙結果のURL

http://www.city.nishitokyo.lg.jp/senkyo/topics/261221shigi.html


青山恭彦


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