靖国神社参拝

8月15日、終戦記念の日、靖国神社参拝。

今まで何度も靖国へ行ったことがあるが、8月15日という日に、そして昇殿参拝というのは初めてのこと。

 

私には戦死した叔父がいる。位牌によれば、「青山光男 昭和20年8月2日 於比島 タヤバス州 リアール 享年25才」とある。

 

靖国は参拝客が一杯、朝9時ごろに来たが、それでも昨年に比べれば少ないらしい。第二鳥居のところから行列ができはじめ、神門をくぐって中門鳥居から拝殿まではガイドの誘導の下、静々と進む。

 

通常参詣が拝殿で終わった後、本殿に昇殿して参拝するために、本殿左側の参集殿に行って受け付け、ここで住所氏名を書いて玉串料2000円を支払う。事前にネットで調べたとおり、個人参拝は2000円と思っていたが、これは最少額で上は無天井のようだ。

 

待つこと約40分、ひとかたまり100人位の集まりができると、若い宮司の案内で拝殿の中は入り、お祓いを受け、長い渡り廊下を進んで奥の本殿へ。ここで2礼2拍1礼の参拝。北側にある参集殿から大きなお社を時計回りに巡って戻ってくるまで、およそ30分位だったろうか。

 

その後は、隣接の遺品などを展示する遊就館に立ち寄って、ちょうど、近くの武道館で11時55分から始まった全国戦没者追悼式典の様子を館内放送で聴きながら、見て廻った。「黙祷」と響き渡ったときは、館内にいる人はみんな不動の姿勢で黙祷を始めた。

 

人間魚雷「天回」の実物大の大きさに驚きながら、一度艦内に入って蓋を閉められたら、そのまま突撃して玉砕するしかなかった、そして、そうせざるを得なかった若い兵士の気持を偲んだ。そのお陰で今日の平和がある…のか。戦争で死んだ300万人の人を追憶し追悼する気持はその通りだ。しかし、なぜ、そんな死なせ方をしたのかを考えないと。。

 

同時に、当時の日本のエンジン技術の水準の高さ=飛行機や軍艦などの武器製造技術レベルの高さには驚かされる。結果、技術応用、技術活用に人が飲み込まれて犠牲になっていったのではないか思う。

 

靖国神社の外は警察、機動隊がものものしく警戒している。右翼の街宣車が集まっている。そういえば、蝉が鳴き響く境内にも、あるいは、拝殿参拝者の中にも、黒の式服に身を包んだ、一見してそれと判る風体のおにいちゃんやおっちゃんがいっぱいいた。また九段下交差点の付近にはたくさんの戦没者追悼に関わる団体やグループや個人、英霊にこたえる会などが拡声器をもって訴えている。拉致問題の真相などという訴えをしているグループもいた。日章旗を掲げる人たちが多い。夕方のテレビは3人の閣僚が参拝したと報じていたが、警察や機動隊は何を警護していたのだろうか。

 

今年の8月15日は、私にとって、いつもの年の夏とは違う暑い一日でした。

 

戦後69年、私は生れて72年。一度終戦記念日に靖国に行ってみようと今年の正月に思ったことを実行したが、一方でなんだか老いを感じた一日だったように思う。


戦後69年、私は生れて72年。一度終戦記念日に靖国に行ってみようと今年の正月に思ったことを実行したが、なんだか老いを感じる一日だったように思う。

頂いた玉串料の受納證と神菓、お守り札を眺めながら今日一日を振り返っている。

 

8月15日、靖国神社の境内の中央に大きなテントを張って下のような集会が開かれていました。境内の外にも大勢のグループがいます。境内の中でこんな大掛かりな集会を行うのはどんな人たちの集会なのか、昭和天皇の終戦の玉音放送も途中で流されています。下のビデオは全部で1時間もあります。


【英霊へ】第28回 戦歿者追悼中央国民集会[桜H26/8/15]

https://www.youtube.com/watch?v=1uWr4MyjGBI&list=TLPvhK-H3GTInXKT7snNm91i59oX8X3_K5

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