フクシマからの避難生活者


東日本大震災と福島原発事故の発生から間もなく3年。西東京市には、岩手、宮城、福島の3県から、住居を失った人たちや避難指示あるいは自主避難により移ってきた家族が合わせて約70世帯、百数十人が暮らしている(昨年12月現在)。故郷に帰れる日を待ちわびながら―。

月2回「さくらっこ会」


(写真中央がさくらっこ会を主宰する鎌田紗菜さん)

富士町の都営住宅で避難生活を送っている人たちの交流会「さくらっこ会」。昨年12月初旬、会を主宰する女性Kさんのお宅を訪ねた。その日はクリスマス用のリース作りが行われていて、Kさんが指導していた。参加者は10人。最高齢は84歳で、その娘さん、孫のお嫁さんという市内では別々に暮らす3人が集まり、都営住宅の近くの借り上げ住宅で暮らす人も集まった。また、奥さんはリース作りを楽しみ、整体師の資格を持つご主人は隣室で希望者にマッサージをするという夫婦がいた。みんな福島県からの避難者だ。
みなさん、リース作りの手を休めることなく話してくれた。さくらっこ会は月2回あり、集まってはいろいろ話し合う。当初は20人ぐらいだったが、今は15人ほどになった。その中に栄養士がいて、食事や栄養の話を聞いた。バス旅行で富士山へ行ったりもしたが、旅行は楽しい。市内で開かれる料理教室やハイキングなどに参加するようになって友達ができた、と楽しそうに話す人がいた。
一方で「早く故郷に帰りたい」「いつになったら帰れるのか」と切実な気持ちを訴える人もいた。
会の名前は、さくらの花のようきれいな花を咲かせようという願いを込めて、西東京市社会福祉協議会(市社協)の職員が考え出した。

社協職員が戸別訪問

避難者のケアとサポートを行っているのは、市社協の東日本大震災被災避難者支援担当の職員だ。市内各地で暮らす避難者家族を定期的に訪問し、特に高齢者の安否を確かめている。奥さんと子どもを避難させ、ご主人は地元で働いている家庭が目立ち、週末に家族に会いに来るケースが多い。奥さんたちは単身生活のご主人の健康を心配しているという。また、自主避難の奥さんたちは、早く戻って来て欲しいというご主人に「帰っていいのかどうか」と気をもんでいるという。

市社協は市内に限らず、近隣の自治体に住む避難者相互の交流を深めることにも力を入れている。情報紙「つながる~むたよりNishitokyo」を毎月発行し、交流情報を地域ニュースや生活情報と共に届けている。さらに、交流の場をつくる支援もしており、さくらっこ会に続き、最近、「みちのくまほろば会」ができた。

交流会に参加することで避難者同士が知り合うことができ、故郷の言葉で会話し、故郷の味を楽しむなどして連帯感が醸成され、安心感が生まれているそうだ。個人情報の保護で避難者の名前や住所を別の避難者に教えたりすることができないため、交流会を開催して自主的に参加して交流してもらうことは大事なことだと担当者は語る。

また、月に1度は東京都や出身県から避難者に郵便で情報提供が行われている。住宅情報や入居申請手続きなどの資料も送られてくる。これらについては専門家と相談する必要があるが、なかなか自分では相談に行けないという人たちのために、東京司法書士会三多摩士会「東日本大震災被災者支援対策室」の協力を得て、交流会場で相談がかなったこともあったそうだ。

避難者、絶えぬ苦労

避難者が異郷で暮らすのはストレスになるそうで、例えば、もともと車の生活だったのに、東京では不慣れな電車、バスなどを利用しなければならない。高校受験を控えた子どもを持つ家庭は、受験事情が異なるため避難先での高校進学は深刻な問題だそうだ。
様々な相談に乗る市社協は西東京市内の避難者にとって頼みの綱であるが、なんといっても、避難者はいつ故郷へ帰れるのか、いつ仮住まいから安定した住居へ移ることができるのかが最大の関心事だ。現在の住宅には平成27年3月まで住み続けることができるよう延長措置がとられたというが、避難者が家族そろって落ち着くまでにはまだまだ不安な生活が続く。 

※ この記事は私が西東京市のミニコミ紙「きらっと☆シニア」に2014年2月に寄稿したものです。本日、3月11日を迎え、私のブログに転載しました。

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